お茶
木曜担当のもりもとです。
ゴールデンウィークも終わりましたね。
ボクはお茶に始まりお茶に終わったゴールデンウィークでした。
そう!南山城村は宇治茶の主産地なのです。
しかも茶品評会では優秀な成績を収める煎茶の産地なのです。
2日の品評会出品茶茶摘みと製茶の応援に始まり
むら茶をテーマにわが社デザイン室の3日間フィールドワークとミーティング。
この時期、村の茶農家さんにすれば当たり前のことなんですが
わが社なりにお茶を考えるゴールデンウィークになったのでした。
何をやってるのか?は簡単にいうと考え方をつくってるんです。
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南山城村役場ホームページを検証!
村役場ホームページにもお茶の記載があります。
「宇治茶の主産地 南山城村」
そこから言いたいことを簡単にまとめてみます。
●茶栽培に適した気候・土壌条件が薫り高い良質な高級茶を育む。
●京都府内の生産量の4分の1を生産し、府内2位の生産量。
●茶園の拡大整備。
●共同製茶工場による生産部門の近代化。
●省力化・低コスト化の茶づくり。
●環境にやさしい栽培技術の研究。
●京都一の良質なお茶の産地であること。
●京都府茶品評会で15年連続産地賞受賞
●その品質を維持するための取り組みを行っていること。
●品評会で優秀な成績を収めた茶農家の表彰。
●茶香服で茶処に相応しい文化の伝承を行っている。
●若手茶業者の「茶手もみ製法」の保存と伝承による茶文化の普及。
と、背景や村の生産基盤整備の取り組みや良質な産地であること
その品質を維持するための取り組みのことが書かれてます。
村のお茶が買いたくなりました?
まず問題点を考える!
ホームページにもお茶の消費拡大・需要拡大を目的に
PR活動をしようとは言ってるんです。
そう!経済効果を狙ってはいるんです・・・。
しかし、行政はまず商売をしてはいけないし、公平性という観点から
誰がどんなお茶を作ってるかも言ってはいけないといいます。
ということもあるし、村が茶業にどうチカラを入れてるかのPRにはなってる
とは思いますが、消費者が知りたい情報を出せてないんです。
消費者的に考えると、近代化された工場で作られる
省力化・低コスト化したお茶ってどうなんだろうと思っちゃいます。
立場的に村のホームページの情報が悪いかどうかは問題ではなくて
経済効果を考えれば誰の視点に立って情報を出すかだと思うんです。
お茶が買いたくなるシチュエーションとかシズル感がゼロなんです!
村のお茶が美味しいと感じる理由!
日本茶が飲めるカフェでお茶を飲んだことがあります。
お店の日本茶インストラクターの店員さんが
上手に淹れてくれたお茶はそれもそれなりに美味しいけど、
村の茶農家さんに淹れてもらったお茶が一番美味しいと思います。
誰のということではなくて。
作り手の顔はもちろん、思いとか背景とかいろんなものが伝わってくるお茶は
いただくまでの間もご馳走に感じるほど。
ある村のお宅はこんな感じ。
玄関先の応接間が村スタイルなお茶のいただき方だと思う。
土間の応接セットは靴のまま座れるという機能的。
長く留守にする以外は火を絶やさないという火鉢にかけた鉄瓶の湯で
淹れるお茶は何とも旨いと言われる。
玄関の応接間はあっても多くがポットに世代交代してるので火鉢は珍しい。
ここでは大抵は男の人が話をしながらお茶を淹れる。
湯のみや急須にお湯を移し湯冷ましをして時間をかけて淹れられる。
作り手の顔が見えるということはこういうことなんじゃないかと思うし
こういう体験から来る興味や愛着が経済効果に繋がるんじゃないかという仮説。
ジャンプし過ぎですが。
製品から見えてくるのは365日分の1日
お茶の作り方は、茶摘みやお茶の刈り取りから始まり、工場の工程は必ず紹介されてます。
京都府茶協同組合 宇治茶大好き
ほとんどの茶農家は午前中に刈り取って、昼から工場で茶を揉むと言われるように
極端に言うとお茶づくりは1日の作業しか見えてないんじゃないかと思えちゃいます。
良質のお茶をつくるために土をつくったり、炎天下でツルをとったり
収穫が終わったら、お礼肥えと呼ぶ施肥があったり。
あとの364日もお茶づくりにはいろんなことがあるんです。上手く語れないけど…。
品種やお茶の種類が違うのは誰もが知ってることですが
茶農家さん毎に、思いも設計も、地質も気候も違うんです。
そういうことをちゃんと情報として伝えることがわが社の役割なんじゃないかと。
村のお茶の歴史!
先日、村を含む京都山城地域が「日本茶800年の歴史散歩」として日本遺産に選定。
観光ツールとして期待もされているが…。
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村の茶の歴史は南山城村史にこう書かれています。
高尾区についてみると、天明年間(1781~89)に柳生村の邑地から茶種をもらい播いた説。
柳生と南大河原の中間にある北山から種を移した説。
安政年間(1854~1859)に伊賀の玉滝村から種子をもらい名張川筋に播いた説。
明治初年に種子を宇治まで買いに行った説。
と諸説ありますが、200年あまり村のお茶づくりが続いているんです。
そこはまだまだ紐解けてませんが、200年以上のお茶づくりの伝統と技術があるわけです。
その営みがつくり出した機能美が村の茶畑景観をつくってるということがベースなんです。
守るのは良質のお茶を作ってきた技!
村には茶手揉み技術保存会があります。
毎年やっていても、茶葉のコンディションは気候や時期で変わっくるんです。
そんな茶葉を良質のお茶に仕立てるために、機械の絶妙な設定が必要になるんです。
茶手揉み技術保存会は、ただ若手茶農家が技術の保存と伝承をしてるわけではなく
時代とともに村の茶づくりは機械化しても、良質のお茶をつくるための技術として
活かされてるんです。
と言うように、作り手にフォーカスするべきだと思うんです。
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目指すところは経済効果!
とは言っても地域経済が回らないと守るものも守れないと思います。
価値をどう活かすか?
そのために何をするのか?
そういうことを考えた今年のゴールデンウィークだったのです!
さぁ!実戦的に動きますよ~!!