地域づくり
木曜日担当のもりもとです。
最近、いろんな人がfacebookなどでシェアしてる
地方再生人、内閣官房地域活性化伝道師 木下斉さんの
地方創生のリアル が面白い。
今回は、南山城村でこれから始まるリアルな「地方創生のリアル」を
書いてみました。
昨年5月、日本創成会議が
全国17番目 京都府1番目に
消滅の可能性がある自治体として名前をあげました。
2040年までに20~39歳の女性人口が激減するとして。
統計上の推計値だとしても、確かにこれは大きな衝撃。
新聞では、国レベルで対策を打ってもらわないととか
産婦人科まで遠いから子どもを産めないとか
子育ての支援制度が弱いからとか子どもが育てられないとか
いろんな自治体の長や担当からコメントが出てたのを覚えてます。
実は、そこにすごく違和感を感じるのです。
はたしてそうなのか?
うちの村のことを考えると、確かに村はいろんなインフラとか
制度が充実してる地域とは言えませんし、人口流出もあります。
でも、村で子育てをしている人も居るし、暮らしている人たちが居るのです。
南山城村に活動のフィールドを求めてくる若い世代の人たちも居るのです。
例えば、最近の村は若い人の移住が進むイメージがつくられています。
2007年から村の何らかの事業をきっかけに移住した人は
64人/2950人(2015年2月末人口)
たかが64人でも村にとっては大きい数字なんです。
このうち、50%が40歳未満。
胸を張って言うことではありませんが
村は空き家バンクがありません。
制度がないからこそ、 人と人 人と地域 が
繋がったのです。
もちろん、いろんな方のチカラがあってのこと。
移住の相談があった人に村の人たちの暮らしぶりを見てもらう。
自分のやりたいことをすでに実践している人が居れば心強いと思うし
そういう人たちのコミュニティがあれば、地域にも入りやすいと思うし。
ただ単純なこと。
どういう人であればこの村で暮らすことができるのか
少し考えてみただけ。
最近、いろんな場面で思うことなんですが
すべては前提条件。
その前提条件の中でどうやっていくかが課題なんだと。
「こうあるべきだー!」とよく怒られます。
“べき”は辞書で
「当然のなりゆき、あるいはそうなるはずの事柄を述べる。」と
書かれています。
なりゆきに任せるということは、積極的に関わらないということ。
だから地方創生で言うならば「こうありたい!」でありたい。
国レベルで・・・という国の制度は
きっと今までも全国一律にやってきたことがあって
その中で、条件や背景が異なるから地域格差が出てきてるし
格差があるから条件の良いところに人が流れてくるし
効率とか考えると集中するところを手厚くなるし・・・。
そこを均してしまえというのは無理なこと。
前提条件を踏まえたうえでのカスタマイズが大事。
そのためにうちの村がどうなれば幸せなのか とか
どういう村を目指すのか という ビジョン
が必要だと思う。
それには、何が足りてて何が足りてないか とか
どの部品を切り離して
どのエンジンを吹かせばいいかとか。
持続させるには何が必要か とか
都市と比べると、村はいろんなインフラが弱いし
人口が少ない分、何かをやるにしても主体を見つけるのが難しい。
見つけるのが難しければつくることもできると思う。
一律じゃないから個性もあるし、それも強味にだってなることも
あるんじゃないか?と悶々とする。
現実として村を目指して来る人も居るんだし。
だから 人を含めた資源 をちゃんと見る必要があるんだと思う。
wikipediaでは「村は生活の場となる共同体」
住民自治だとか協働だとかそういうことを言いかけてしばらくなる。
で今、地方創生って。
生活の場となる共同体って何?
そういうことを考えることが
現場のリアルな地方創生のリアル
なんじゃないかと自戒の意味も込めて。